第45回衆議院議員総選挙で、民主党が大勝

2009年8月30日の午前7時から午後8時まで、第45回衆議院議員総選挙の投票が行われました。2005年9月11日に行われた所謂「郵政選挙」から4年ぶりの総選挙です。
前回の選挙で大躍進した連立与党の自民党公明党ですが、小泉純一郎首相の自由民主党総裁任期満了に伴う内閣総辞職を受けて発足した安倍内閣では、郵政選挙郵政民営化に反対して自民党を除籍された議員を復党させたのを皮切りに支持率が下落をはじめ、その後も公的年金の記録に大規模な不備が発覚したり閣僚の失言や不祥事が相次ぎ、不祥事の責任を負う形で現職閣僚が自殺するという前代未聞の事態に発展。「美しい国作り」、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、教育基本法・教育三法の改正や防衛庁の設置、国民投票法の制定等などの成果をあげたものの、2007年7月29日の参議院選挙で大敗し少数与党へと転落しました。安倍晋三首相は総理大臣の座を辞するのが当然であると周りが考えるなか続投し内閣改造を発表。しかし参議院選挙後はじめてとなる第168回臨時国会が開かれた2日後の9月26日、所信表明演説を行った後であるにもかかわらず安倍晋三首相が病気を理由に突然の辞意表明を行い、会議を開くことなく自民党総裁選挙に突入するという異常事態に陥ります。2007年9月26日に福田内閣が発足。福田康夫首相が突然、参議院選挙で大きく議席を伸ばし事実上の敵対関係にあった民主党の小沢代表と、大連立構想について話し合うという事件もありましたが、合意に達せずうやむやに。以後、目立った成果も不祥事もなかったのですが、前の安倍首相に続いて突然の辞意表明を受け内閣解散。自民党総裁選を経て2008年9月24日に麻生内閣が発足しました。当初は、早期の衆議院解散を予定していた模様ですが支持率がふるわず、世界金融危機を受けて経済対策を優先する方針に転換。15兆円の補正予算を編成し、1人当たり12,000円(18歳以下及び65歳以上は20,000円)の定額給付金の給付、ETC搭載車限定で週末に高速道路を1000円で乗り放題、環境基準に対応した特定の家電を購入した時にポイントが給付されるエコポイント、環境基準を満たした車を購入したり古い車を処分したときに給付や減税が受けられる制度、国立メディア芸術総合センターの建設計画(但し展示物は未定)等、様々な経済対策を行いました。一方、マスメディアから誤読が多いと指摘されたり、閣僚が酔っぱらったと思われる状態で会見に出るなどの不祥事もありました。自民党内でも首相交代を求める声が表面化し、衆議院の任期満了を前に自民党総裁選挙を行おうという声もありましたが、逃げ切る形で衆議院選挙が行われました。自民党は「日本を守る、責任力」をキャッチコピーに衆院選を戦いました。
一方、自民党政権の支持率低下を横目に野党第一党民主党は、高速道路の無料化や配偶者・扶養者控除の廃止、子ども手当の実施や高校の無料化等、政策の周知を行い、国民からは現実的ではなく実行は難しいと指摘されつつも、自民党に失望した人から票を獲得する形で議席を伸ばしました。結果、自民公明の連立政権は議席を331から140に減らし、民主党は115から308に増やしました。結果、民主党が単独で過半数を獲得し、政権交代が確実になりました。民主党社民党国民新党と連立政権を組む意向です。新政権は2009年9月中旬に発足する見込みで、16年ぶりの政権交代となります。
戦後初めて自民党が野党に転落したのは1993年の細川内閣が初めてで、今回が2回目になります。細川内閣は新党ブームを受けて誕生した内閣で、日本社会党新生党公明党日本新党民社党新党さきがけ民主改革連合社会民主連合の連立政権でした。その後、自民党日本社会党新党さきがけと連立を組むことで政権復帰します。
NHKでは2009年8月30日午後7時55分から選挙特番を放送。続いて午後8時までに民放各社も「24時間テレビ」を放送していた日本テレビを除き選挙特番の放送を開始しました。NHKでは、投票が打ち切られる午後8時になる直前にアナウンサーが「この後、政権交代なるか、明らかになります。」と言うようなことを言って、8時になった直後「政権交代が確実になりました」というようなことを言っていました。