昭和天皇「だから私はあれ以来参拝はしていない」

報道によると元宮内庁長官富田朝彦氏の遺品の手帳に、昭和天皇*1が、靖国神社へのA級戦犯合祀について不快感を示していたと見られる記述があることが分かったということです。

■富田氏メモ靖国部分の全文■(毎日新聞の記事より)
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ

メモは昭和天皇崩御される前の年の1988年4月28日付けのもので、名前はそれぞれ以下の人のものと考えられるということです。

昭和天皇A級戦犯合祀後、靖国神社へ参拝されませんでした。松岡洋右元外相は昭和天皇に嫌われていたようで、1978年10月17日にA級戦犯靖国神社に合祀された際、宮内庁は松岡元外相の合祀を強く抗議したという逸話があるそうです。

天皇靖国神社A級戦犯合祀について不快感があったと公表されたことは今までなく、資料等も知られていなかったため、天皇靖国神社に参拝しなくなったことについて、今まで様々な解釈がされてきましたが、この時期にこれだけ決定的な資料が出てきたということは、やはり何らかの意図があったのだと考えるのが普通だと思います。この夏で日本国首相の座を退く予定の小泉純一郎首相は、太平洋戦争が終戦を迎え天皇自身によってポツダム宣言受諾の決定され、玉音放送が行われた8月15日の終戦の日終戦記念日)に靖国神社を参拝するのではないかと一部では噂されています。また、参拝を求める声もあります。

これについて中国などはA級戦犯を祀ることは軍国主義的だなどと批判しています。

2006年7月20日、総理大臣が記者に対して
記者「靖国神社A級戦犯分祀に対して不快感を示す昭和天皇のメモが見つかりました。元宮内庁長官のメモだということですが、総理はどのように受け止めていらっしゃいますか。」
総理「ま、詳細は分かりませんが、これは心の問題ですから、陛下におかれても、様々な思いがお有りになったんだと思いますね。」
記者「改めまして、A級戦犯が合祀されてから天皇陛下靖国参拝を、これまでしてこなかったことについてはどうお考えですか。」
総理「それは、それぞれ人の思いがあるから、私がどうこう言う問題じゃないと思いますね。」
記者「けれどまぁ、天皇陛下靖国参拝をできるような状況にした方が良いようなお考えというのはお持ちですか。」
総理「まぁ、それぞれ心の問題ですからね。参拝されてもいいし、しなくてもよいしと、自由ですから。」
記者「総理、戦没者追悼施設として改めて、どの様な物が理想的だという風に考えられていますか。」
総理「どういうものが…、国として、どういうものがいいかというのは、ま様々意見があるのは承知しておりますし、また私の私的懇談会といいますか、官房長官の私的な懇談会でも議論がありましたしね。今後検討されていくものだと思います。今どういうものがいいかというのはね、なかなか結論が出にくいですね。」
記者「総理ご自身の靖国神社参拝に影響はありますか」
総理「これはありません。それぞれの人の思いですから。心の問題ですから。強制する物でもないし、あの人が、あの方が言われたからとか、いいとか悪いとか、言う問題でもないと思っております。」
記者「これからも、行かれる方向…」
総理「いやこれは、心の問題ですから、いってもよし、いかなくてもよし、誰でも自由ですね。」
記者「各方面で議論がなされているんですが、A級戦犯分祀に対する総理ご自身のお考えを改めてお聞かせ下さい。」
総理「これは、一宗教法人に対してね、あああるべきだ、こうあるべきだと政府としては言わない方がいいと思うんですね。議論は結構です。」
記者「どうも、有り難う御座いました。」

*1:1901年4月29日誕生〜1989年1月7日崩御、1926年に践祚して天皇に即位