自分の思想について考えてみた

WWWの電子掲示板やブログではネット右翼ネットウヨ)やネット保守派と呼ばれる人達が主流です。個人的な見解ですが、彼らは一般的な日本的右翼とは異なり、天皇や皇族を特別視していないナショナリストです。靖国神社A級戦犯が合祀されていることについて昭和天皇が不快感を示していたことが明らかになったという報道で、「天皇のお言葉に従う」「A級戦犯は悪くない」「A級戦犯の合祀は遺族として当然の主張だ」などといった主張は行わず、「メモはマスコミの捏造だ」「天皇の発言など問題ではない」「中国や韓国の主張には屈しない」という反応をとっています。日本のナショナリズムは「国体」、即ち天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする国の在り方を規範にしていますが、これとはまた異なる国粋主義的な思想です。先日テレビで「ぷちナショナリズム」という言葉を紹介していましたが、ぴったりの言葉だと思いました。
さて、で、自分ですが、国粋主義的な言動に若干の抵抗があります。象徴的なのは先のワールドカップでの日本人のサッカー応援や、ワールドベースボールクラシックでの野球の応援です。元来スポーツ観戦は好きではなく、今までテレビでスポーツを見たことはほとんど無かったのですが、話題性の強い物ですので、サッカーは1次の試合を全試合、ワールドベースボールクラシックはそれこそ最初から決勝まで全ての試合を生放送で観戦しました。…その時間にちょうど起きていた(サッカーの時には昼夜逆転生活だった)というのもありますが…。そこで、応援している人達がテレビの画面に映し出されたのですが「愛国心」を強調し、日本を愛しているからサッカーを応援する、野球を応援すると言ってるのです。野球やサッカーのチームは地域性が強く…例えば東京の人だったらジャイアンツを応援する…とか、そういう文化があることは存じています。自分が応援しているチームが勝てば面白いのも普通な感情でしょう。しかし、特にワールドベースボールクラシックの場合、韓国と試合を行った回数が多かったからかも知れませんが、試合とは関係のない所で韓国を非難するような意見を聞いたような気がしますし、サッカーでも不必要に「日本が、日本が」と言っていたように思います。靖国神社参拝問題についても、ようは中国や韓国が意見しているのが問題なのであって、それが無ければ小泉首相違憲行為だと言われながら参拝を続けることに共感する人も少なかったのではないでしょうか。
では、日本の伝統や文化が嫌いなのかといえば、そういうこともありません。例えば宗教について言えば日本発祥の神道が好きです。お正月にも神社にお参りします。ただ教派神道に入りたいとは思いません。仏教については正直苦手です。知っている人で無宗教でない人は、だいたい仏教徒を自称していますが、教義がイマイチ意味不明なのが苦手です。…自分も死ぬ時は仏教形式だとは思うのですが…。天皇制についても、日本のロイヤルファミリーとして尊敬しています。できればもっと自由な生活ができた方が良いのではないかとも思いますし、無ければないで構わないとも思っていますが、貴重な存在だとも思っています。ぷちナショナリズムの象徴とされる日本語ブームにも乗っかった口です(でも国語は苦手だ)。
でも「愛国心」という言葉は苦手です。戦前の全体主義を彷彿としてしまうからです。国は何のために存在するかと考えた時、個人ではできないことを国はすることができ、国民を守ることができるからだと考えます。その時、国が与える利益を享受することに感謝はしますし、自分を育てた国に対し特別な感情も湧くことでしょう。ただ、国が人の集まりである以上、自分の考えとは異なる判断をすることもあれば、著しい不利益を招くこともあります。そんな時に「愛国心」という言葉を免罪符として国が各人に負担を強いることが正しいのでしょうか。国民がより多くの利益を享受するために、相応の負担を強いられることは当然のことだと思いますが、それぞれが独立した主体であり、バランスが必要です。国が国民を愛することを表現する言葉が無いように「愛国心」という言葉も不要ではないでしょうか。(「売国奴」に対応する、国が国民を裏切ることを表現する言葉を作るのも、いいかもしれませんね。)
ちなみに共産主義(特にマルクス主義)も苦手です。特に暴力的な手段を利用して改革するという点は全く納得できるものではありませんし、ロシアや中国をみてイメージも悪いです。ただ、社会民主主義はわりと好きかも知れません。
…というわけで、やはり左翼的かな。というか、もろ左翼か。どういう育ち方したら、こうなったのかな…。