麻生外務大臣、靖国神社国営化を前提に自主解散を要求

先日から報道されていますが、麻生太郎外務大臣は2006年8月8日記者会見で、靖国神社を自主解散させ国が関与する特殊法人に移行させるとした独自の解決案を示しました。麻生太郎外務大臣は、以前総務大臣に就任する際に「フロッピーで省庁をつなぐ、すべてフロッピーで済むようになる」旨の発言を連発したためフロッピー大臣の異名を持つほか、漫画に造詣が深いことでも有名です。
麻生大臣は昨日、WEBサイトに次のように掲載しています。

2006年8月7日
靖国神社についての私見
明日、靖国神社についての私見を発表します。
先日より、予想の範囲を出ない“憶測記事”が飛び交い、また、それらの記事に全く事実と異なるものが多く、はなはだ当惑しています。
それらの記事では、靖国への参拝是非だとか、いわゆるA級戦犯分祀だとか、悲しいかな、矮小化された話として取り上げられています。
明日発表する私見は、そういった根本とはかけ離れた議論により安息の場ではなくなってしまっている靖国を、静謐(せいひつ)な祈りの場として、未来永劫保つための提案として、今まで考えてきたことをまとめたものです。
このHPにもアップする予定ですが、ご一読頂ければ、その趣旨をご理解頂けるものだと思っています。

で、今日のWEBサイトには、次のような記述がありました。

2006年8月8日
靖国にいやさかあれ。
本日、靖国神社についての私見を発表させて頂きました。
(全文を当HPの「講演・論文」コーナーに掲載しています)
これは、日本人にとって唯一無二の存在である靖国の、未来永劫に渡る存続を願う気持ちを表したものです。
また昨今、不幸にもやかましい議論の対象となっている靖国が、今一度、静謐(せいひつ)な祈りの場に戻ることを願う気持ちです。
靖国で会おう」と契りを交わし、二度と故郷の地を踏むことができなかった英霊が、最も望んでいるのは陛下のご親拝です。
今年初め、ある講演でそうお話した時、一部では曲解された報道もなされました。
しかし、そこで伝えたかったのは、再び陛下に靖国をご親拝頂く、そうした環境を整えることが、靖国の永久の栄えに繋がるのではないかという、予てからの気持ちでした。
頭をよぎり続けていたそんな想いを、体系的にまとめることを決意したのはその頃です。
そして、結論に至りました。
靖国を静かな安息の場として未来永劫保つにためには、靖国にその本来の姿に復して頂くことが最良であると。
もちろん、私案で述べているように、現在の靖国神社に対して外部の人が何かを強制することはできません。
すなわち、靖国の自発性のみによって進む、靖国存続のためのプロセスなのです。
ぜひ、ご一読下さい。
「日本人の集合記憶」である靖国において、英霊が安堵の息をつき、誰もがいささかのためらいもなく彼らを偲ぶことに、異を唱える方でなければ・・・。

靖国に弥栄あれ」については、以下に引用しますが、勝手に要約してみました。

  1. 最近の靖国論争は基本を忘れている
    1. 靖国は静謐な祈りの場所であるべきだ
    2. 靖国は日本人の記憶であり代替施設などあり得ない
    3. 国が戦死者を祀るのは当然
    4. 戦死者は天皇万歳と言って死んだのだから、天皇が参拝すべき
  2. そのためには靖国を非政治化すべき
  3. しかし宗教法人は非政治化しにくい
    1. 政教分離の原則があり、政治家は口を挟めない
    2. 遺族が減っていくので、靖国の運営は先細る
  4. 解決に当たって
    1. 靖国神社は本来の神道の神社とは異なる神社だ
    2. 護国神社も忘れてはならない
    3. 靖国神社護国神社と一体になり自主的に解散する必要がある
    4. 最終的には特殊法人にする
    5. 日本赤十字社が似たような経緯で特殊法人になった
    6. 税源には独立行政法人平和祈念事業特別基金の国庫返納分を利用
    7. 慰霊対象は国会で議論、遊就館は行政府内に管理を移管
  5. できるだけ早く実行し、天皇に参拝してもらう。近隣諸国の首相にも来てもらって偲んでもらいたい。

…で、僕の意見ですが、問題は1-2の「代替施設はあり得ない」という点ですよね。靖国神社が大切にされているというのは、結局神道の施設だからだと思います。宗教法人を解体して国営化するという前代未聞の方法で施設を無宗教化して、なにか意味があるのでしょうか。むしろ、神社を一つつぶすほうが、日本人は自らを消失することになるのではないかと思うのですが…。
次に、議論が避けられている4-7ですが、現在問題になっているのは正にこの点であり、麻生大臣の意見は議論の先送り以外の何者でもないと思います。それこそ再びA級戦犯が祀られる(?)ようなことになれば、結局天皇陛下は参拝できないわけですし、じゃぁA級戦犯を分けて祀るとかいうのもできるのかといえば、それもどうでしょうか。
戦没者の追悼を民間の一宗教法人が行っているのは問題だとする意見は否定しませんけれども、だからといって、その一宗教法人を国営にしてしまおうというのは…無宗教化するとは言っていても…やはり無理があるのではないかと思います。…まぁ、一宗教の教祖みたいな人が国の象徴になっている日本なら可能なのかも知れませんが。

靖国に弥栄(いやさか)あれ
麻生太郎
靖国神社についての私見です。なお、新聞投稿もこの文章も、外務省や、外務大臣としての立場とはなんの関係もありません】

1.常に根と幹を忘れずに
靖国神社に関わる議論が盛んです。特定の人物を挙げ、「分祀」の必要を言う人があります。国会議員にそれを主張する人が少なくありません。わたしに言わせれば、これは根や幹から問題を見ようとしない、倒錯した発想によるものです。  
 わたしは靖国神社についてものを言う場合、常に物事の本質、原点を忘れぬよう心がけて参りました。  
 それでは靖国問題で発言しようとするとき、忘れてならない根と幹とは、何でしょうか。  
 大事な順番に、箇条書きにしてみます。
              
(1)靖国神社が、やかましい議論の対象になったり、いわんや政治的取引材料になったりすることは、絶対にあってはならないことです。靖国は、戦いに命を投げ出した尊い御霊とご遺族にとって、とこしえの安息の場所です。厳(おごそ)かで静かな、安らぎの杜(もり)です。そのような場所で、靖国はあらねばなりません。  
 いかにすれば靖国を慰霊と安息の場とし、静謐(せいひつ)な祈りの場所として、保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけておくことができるか――。  
 靖国にまつわるすべての議論は、いつもこの原点から出発するものでなければならないと考えます。論議が紛糾したり、立場の違いが鋭く露呈したような場合には、常にこの原点に立ち戻って考え直さなくてはなりません。

(2)靖国神社にとって、「代替施設」はあり得ません。  
このことは、靖国に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができます。靖国には、遺灰とか遺骨といった、物理的な何かはありません。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものです。いやもっと言うと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」です。  
記憶には、誇るべきものがある半面、胸を張れないものもあることでしょう。しかし死者にまつわるものであるからには、総じて辛い、哀しいものです。それらすべて、一切合財を含む記憶の集積を、明治以来日本人は、靖国に見出してきました。これは引っこ抜いてよそへ持って行ったり、新しい場所に「存在するつもり」にしたりできないものです。つまり靖国には、代替施設はつくれません。  
高浜虚子の有名な句に「去年今年 貫く棒の 如きもの」があります。この句に言う「棒の 如きもの」が、靖国にはあるのだと思っています。これを無くしたり、むげにしていると、ちょうど記憶を喪失した人が自分とは何者か分からなくなってしまうのと同じように、日本という国が、自分を見失い、碇を無くした船さながら、漂流してしまうと思います。

(3)上の(1)と(2)の土台にあるのは、国家のために尊い命を投げ出した人々に対し、国家は最高の栄誉をもって祀らねばならない、という普遍的な原則です。「普遍的な」というのは、これが国と国民の約束事として、世界中どこででも認められていることだからです。
 国家とは、国民を戦場へ連れ出し、命を投げ出させる権力をもつ存在でした。だとすれば、国家の命に応じてかけがえのない命を捧げた人を、当の国家が最高の栄誉をもって祀らなければならないのは、最低限の約束事であり、自明の理です。戦後のわれわれには、この当たり前の理屈がピンと来なくなっているかもしれません。何度でも強調しないといけないゆえんです。

(4)「天皇陛下、万歳」と叫んで死んだ幾万の将兵は、その言葉に万感の思いを託したことでしょう。天皇陛下の名にこと寄せつつ、実際には故郷の山河を思い起こし、妻や子を、親や兄弟を思っていたかもしれません。しかし確かなこととして、明治以来の日本人には、上の(3)で言った国家との約束事を、天皇陛下との約束として理解し、戦場で死に就いてきた経緯があります。  
ですからわたしは、靖国天皇陛下のご親拝あれかしと、強く念じているのです。

2.いま、何をすべきか

 この問いに対する答えは、もう明らかだと思います。靖国神社を可能な限り政治から遠ざけ(「非政治化」し)、静謐な、祈りの場所として、未来永劫保っていくことにほかなりません。わたしの立場は、靖国にその本来の姿へ復していただき、いつまでも栄えてほしいと考えるものです。世間の議論には、靖国を当座の政治目的にとって障害であるかに見て、なんとか差し障りのないものにしようとする傾向が感じられます。悲しいことですし、わたしとしてくみすることのできないものです。

3.現状の問題点

 ところが靖国を元の姿に戻そうとすると、たちまち問題点にぶつかります。それは煎じ詰めると、靖国神社が宗教法人であるという点にかかわってきます。少し説明してみます。

(1)政教分離原則との関係
 靖国が宗教法人であり続ける限り、政教分離原則との関係が常に問題となります。実は政治家であるわたしがこのように靖国について議論することさえ、厳密に言うとこの原則との関係で問題なしとしません。まして政治家が靖国に祀られた誰彼を「分祀すべし」と言うなどは、宗教法人に対する介入として厳に慎むべきことです。  
靖国神社が宗教法人である限り、総理や閣僚が参拝する度に、「公人・政治家としての訪問か、私的な個人としての参拝か」という、例の問いを投げかけられます。政教分離原則との関係を問われ、その結果、本来鎮魂の行為であるものが、新聞の見出しになってしまいます。つまり靖国がその志に反し、やかましい、それ自体政治的な場所となってしまった理由の過半は、靖国神社が宗教法人だというところに求められるのです。  
これでは、靖国はいつまでたっても静かな安息と慰霊の場所になることができません。このような状態に最も悲しんでいるのは靖国に祀られた戦死者でしょうし、そのご遺族であることでしょう。そして靖国をそんな状態に長らく放置した政治家の責任こそは、厳しく問われねばならないと考えます。

(2)戦死者慰霊の「民営化」をした弊害
 本来国家がなすべき戦死者慰霊という仕事を、戦後日本は靖国神社という一宗教法人に、いわば丸投げしてしまいました。宗教法人とはすなわち民間団体ですから、「民営化(プライバタイゼーション)」したのだと言うことができます。  
その結果、靖国神社は会社や学校と同じ運命を辿らざるを得ないことになっています。顧客や学生が減ると、企業や大学は経営が苦しくなりますが、それと同じことが、靖国にも起きつつあるのです。  
靖国神社にとっての「カスタマー(話を通りやすくするため、不謹慎のそしりを恐れずビジネス用語を使ってみます)」とは誰かというに、第一にはご遺族でしょう。それから戦友です。  
ご遺族のうち戦争で夫を亡くされた寡婦の方々は、今日平均年齢で86.8歳になります。女性の平均寿命(83歳)を超えてしまいました。また「公務扶助料」という、遺族に対する給付を受けている人(寡婦の方が大半)の数は、昭和57(1982)年当時154万人を数えました。それが平成17(2005)年には15万人と、10分の1以下になっています。  
戦友の方たちの人口は、恩給受給者の数からわかります。こちらも、ピークだった昭和44(1969)年に283万人を数えたものが、平成17年には121万人と、半分以下になっています。  
靖国神社は、「氏子」という、代を継いで続いていく支持母体をもちません。「カスタマー」はご遺族、戦友とその近親者や知友だけですから、平和な時代が続けば続くほど、細っていく運命にあります。ここが一般の神社との大きな違いの一つです。  
靖国は個人や法人からの奉賛金(寄付金)を主な財源としていますが、以上のような状況を正確に反映し、現在の年予算は20年ほど前に比較し3分の1程度に減ってしまっているとも聞きます。  
戦後日本国家は、戦死者慰霊という国家のになうべき事業を民営化した結果、その事業自体をいわば自然消滅させる路線に放置したのだと言って過言ではありません。政府は無責任のそしりを免れないでしょう。  
このことを、靖国神社の立場に立って考えるとどう言えるでしょうか。「カスタマー」が減り続け、「ジリ貧」となるのは明々白々ですから、「生き残り」を賭けた「ターンアラウンド(事業再生)」が必要だということになりはしないでしょうか。

4.解決策

 以上に述べたところから明らかなように、山積する問題解決のためまず必要なのは、宗教法人でない靖国になることです。ただしその前に2点、触れておかねばなりません。

(1)「招魂社」と「神社」
 靖国神社は創立当初、「招魂社」といいました。創設の推進者だった長州藩木戸孝允は、「招魂場」と呼んだそうです。「長州藩には蛤御門の戦いの直後から藩内に殉難者のための招魂場が次々につくられ、最終的にはその数二十二に達した」(村松剛靖国神社を宗教機関といえるか」)といいます。  
このような経緯に明らかなとおり、靖国神社は、古事記日本書紀に出てくる伝承の神々を祀る本来の神社ではありません。いま靖国神社の変遷や歴史に触れるゆとりはありませんが、設立趣旨、経緯から、靖国神社本庁に属したことがありません。伊勢神宮以下、全国に約8万を数える神社を束ねるのが神社本庁です。靖国はこれに属しないどころか、戦前は陸海軍省が共同で管理する施設でした。また靖国宮司も、いわゆる神官ではありません。

(2)護国神社靖国神社
 第二に触れておかねばならないのは、上のような設立の経緯、施設の性格、またこれまで述べてきた現状の問題点を含め、護国神社には靖国神社とまったく同じものがあるということです。靖国神社が変わろうとする場合、全国に52社を数える護国神社と一体で行うことが、論理的にも実際的にも適当です。

(3)任意解散から
 それでは靖国が宗教法人でなくなるため、まず何をすべきでしょうか。これには任意解散手続き以外あり得ません。既述のとおり、宗教法人に対しては外部の人が何かを強制することなどできないからです。また任意解散手続きは、護国神社と一体である必要があります。  
言うまでもなくこのプロセスは、靖国神社(と各地護国神社)の自発性のみによって進められるものです。

(4)最終的には設置法に基づく特殊法人
 その後の移行過程には、いったん「財団法人」の形態を取るなどいくつかの方法があり得ます。ここは今後、議論を要する点ですが、最終的には設置法をつくり、それに基づく特殊法人とすることとします。  
名称は、例えば「国立追悼施設靖国社(招魂社)」。このようにして非宗教法人化した靖国は、今までの比喩を使うなら、戦死者追悼事業を再び「国営化」した姿になります。宗教法人から特殊法人へという変化に実質をもたせるため、祭式を非宗教的・伝統的なものにします。これは実質上、靖国神社が「招魂社」といった本来の姿に回帰することにほかなりません。各地の護国神社は、靖国社の支部として再出発することになります。  
なお設置法には、組織目的(慰霊対象)、自主性の尊重(次項参照)、寄付行為に対する税制上の特例などを含める必要があるでしょう。

(5)赤十字が参考に
 この際参考になるのが、日本赤十字社の前例です。日赤は靖国神社と同様、戦時中に陸海軍省の共管下にありました。母子保護・伝染病予防といった平時の事業は脇に置かれ、戦時救済事業を旨としました。講和条約調印後に改めて立法措置(日赤法)をとり、元の姿に戻すとともに、「自主性の尊重」が条文(第3 条)に盛り込まれた経緯があります。

(6)財源には利用できるものあり
 併せて靖国社の財源を安定させる必要があります。このため利用できるのが、例えば独立行政法人平和祈念事業特別基金のうち、国庫返納分として議論されている分です。  
平和祈念事業特別基金とは、「旧軍人軍属であって年金たる恩給又は旧軍人軍属としての在職に関連する年金たる給付を受ける権利を有しない方」や、旧ソ連によって強制抑留された帰還した方などの労苦を偲ぶためなどを目的とし、「新宿住友ビル」にある「平和祈念展示資料館」の運営や、関係者の慰労を事業とするため、国が400億円を出資し昭和63(1988)年に設けたものです。資本金のうち半分に当たる200億円は、国庫に返納されることが議論されています。  
これを全部、または半分程度靖国社の財産とすることで、靖国の財政を安定させることができるでしょう。また靖国を支えてきた財団法人日本遺族会は、公益法人制度の改革を受け新たにつくられるカテゴリーの「公益財団法人」として公益性を認め、こちらの基盤も安定を図ります。直接の支持母体である「靖国神社崇敬奉賛会」は、そのまま存続させればいいと思います。

(7)慰霊対象と遊就館
 それではいったい、どういう人々を慰霊対象とすべきなのか。周知のとおり、ここは靖国を現在もっぱら政治化している論点にかかわります。だからこそ、あいまいな決着は望ましくありません。「靖国を非政治化し、静謐な鎮魂の場とする」という原則に照らし、靖国社設置法を論じる国会が、国民の代表としての責任にかけて論議を尽くしたうえ、決断すべきものと考えます。  
注意していただきたいのは、この時点で、宗教法人としての靖国神社は既に任意解散を終えているか、その手続きの途上であるか、あるいはまた過渡期の形態として、財団法人になっているかしていることです。すなわち慰霊対象の特定、再認定に当たり、「教義」は既に唯一の判断基準ではなくなっています。  
さらに靖国神社付設の「遊就館」は、その性質などにかんがみ行政府内に、その管理と運営を移すべきだと考えます。その後展示方法をどうすべきかなどの論点は、繰り返しますがこのペーパーで最初に述べた「原点」に立ち戻りつつ、考えられるべきです。

5.最後に
 ここまでを整えるのに、何年も費やすべきではありません。このペーパーで述べてきた諸般の事情から、靖国神社は極めて政治化された場所となってしまっており、靖国に祀られた246万6000余の御霊とそのご遺族にとって一日とて休まる日はないからです。  
政治の責任として以上の手続きを踏んだあかつき、天皇陛下には心安らかに、お参りをしていただけることでしょう。英霊は、そのとき初めて安堵の息をつくことができます。  
中国や韓国を含め、諸外国首脳の方々にとっても、もはや参拝を拒まなければならない理由はなくなっています。ぜひ靖国へお越しいただき、変転常なかった近代をともに偲んでもらいたいものです。

以上

外務省のWEBサイトより…8月8日午前の記者会見
(問)8月15日に大臣は靖国神社を参拝するお考えはありますか。
外務大臣)今日の朝日新聞の投稿に関して、字数が足りない部分があったかと思いますので、靖国神社についての私見をまとめたものをお渡しします。それを読んでいただくと今のような質問は出ないと思います。
(問)この文章を読みますと靖国神社の組織を変えるべきだという話が出ていますが、それは変えるまで参拝しないということですか。
外務大臣)適切に判断するという今まで申し上げているのと同じようなことを何回も答えていると思います。
(問)今の質問に対して、それから推測してくれということですか。
外務大臣)今の質問に対しては、今渡したものをよく読んでみてください。少なくとも、参拝すべきだ、参拝すべきではないという話ではなくて、基本的に靖国神社というものの在り方について考えねばならない時期に来ているのではないかということを申し上げています。だから、参拝するとかしないとか、8月15 日がどうしたとかいうような話ばかりではなくて、もう少し、そもそも靖国神社というものの在り方自体についてもう一回検討する時期に来ているのではありませんかという話をきちんと自分なりに書いているつもりです。
(問)靖国神社の祀り方は基本的に神道で、そこからまるっきり宗教色を抜くと靖国神社の本質が変わるような気がするのですが。
外務大臣靖国神社がどうあるべきかということについては、靖国神社が考えるところであって、何回も申し上げましたように、立法とか行政府から一宗教法人の在り方についてどうこう申し上げることは明らかに越権行為ではありませんかと、ずっと申し上げている通りです。従って今回書いた事も果たしてこれは分を超えているところもあるかもしれないと書いてあると思うのですが、そういった上で、少なくとも今のままの宗教法人のままでありうる間は、少なくとも私人とか公人とかいう話になって、所謂、行く行かない、私人公人という矮小化した話になるというのは避けられない。それは政教分離の話に関わってくるからそこのところは難しいのではないかと。従って宗教法人というものの形を変えるような形にしないと具合が悪くはありませんか。
 思い返せば、少なくともこれは陸軍省海軍省の施設だったのです。今でも靖国神社神社本庁には属していない数少ない神社の一つだと思います。従って戦後、陸軍省海軍省の所管から所謂法人に変わったのは赤十字がそうだと思います。日本赤十字社は確か陸軍省海軍省の所管だったと思いますが、昭和23年頃にその所管を変えて特別立法で今の赤十字ができたという経緯があります。この靖国神社についても、宗教法人ではなくて、元々は陸軍省海軍省所属の追悼施設だったというのがそもそもの経緯です。明治2年に出来た「東京招魂社」として確か明治12 年に靖国神社として、別格官幣社に変えたというのが歴史的背景だったと思います。従って、それまでは神社というより一種の靖国招魂社という社だったわけですから、その原点というものを考えると、少なくともその段階でどういうようなお祀りの仕方があるのかというのは、新しい法人で伝統に則られておやりになったらいかがですかということをそこに書いています。
(問)そうすると神道色をまるっきりなくすということですか。
外務大臣)それは新しい団体でお考えになることであって、私達がそれをとやかくいうことではないのではないかと思います。ましてや新聞社が言うのもいかがなものかということだろうと思います。
(問)まるっきり宗教色を無くすと、今まで言われている独立の無宗教の施設とどう違うのか。「靖国」という名前が残るだけではないかという気もするのですが、この辺の本質的な違いというものは。
外務大臣)いい指摘だと思います。違いは伝統的な格式に戻ると書いていますので、その伝統的なものをどうされるかは自分達でお決めになれば宜しいと思います。これを従来、明治2年からずっと続けているからこれでいくというのであれば、それはそれでいいのだと私は思います。従って今、千鳥ヶ淵の話と一緒なのではないかと仰いましたが、千鳥ヶ淵に祀られているのは英霊ではありません。戦没者だと思います。元々の経緯を詳しく読まれた上で聞いておられると思うのですが、あの話の元々の最初の3行目位のところから経緯が書いてあると思いますが、そこを読んでいただければ少なくとも靖国神社というものは国のために尊い命を捧げた英霊を祀ることを目的としているのであって、片方は被災された戦没者の鎮魂を目的としていると書いてあって、元々のいきさつが全く違うように作ってあると思います。
(問)今、総裁選も含めて、靖国についての議論は、中国や韓国が問題視しているから当座参拝を見送ると谷垣氏などは仰ってますが、麻生大臣の文書を拝読すると、日本人として日本の国のために亡くなった方をどう扱うかという国内問題として基本的に捉えていると読めるのですが、そういう理解でよろしいですか。
外務大臣)私は基本的にこれを国際問題だと思ったことは一回もありません。これはずっと国内問題の話であって、政局にすべきでもない。これは政治の問題なのかもしれませんが、政局にする話ではない。ましてや海外から言われたからなんていうのは全くありません。
(問)こちらには宗教法人ではなく特殊法人にすべきだと書かれていますが、その実態は死者を神として祀るという精神的な思いとか、鳥居が残ったり外形的に変わらないということになった場合、名前が変わっても神道における宗教という意味合いが残るかと思われますが、その場合でも宗教法人で無くすことによって、憲法に抵触しないと考えますか。
外務大臣)宗教法人ではないわけですから、法律的には宗教法人ではない。何の法人にされるかは、新たに内閣府所管の特殊法人にされるのか、厚労省所管の特殊法人にされるのかは検討されて然るべきだと思います。どのような形で今後これをやっていくのかということは新しい法人で考えられるべきなのであって、キリスト教式がいいとか仏教式がいいとか何式がいいとか無宗教がいいとか色々言われるだろうと思いますが、私は基本的にこれまで地鎮祭やら何やらを見た上で、あれは宗教だという裁判はこれまで何回も行われたと思いますが、いずれも宗教というものではないという結論を既に地裁で出しておられて、答は出ているのです。
(問)最近、政調会長がこうした無宗教化の法案の検討のようなことを発言されていますが、大臣としては、どれくらいの時期からこういうものを考えられていたのか。
外務大臣)1月頃でしたか、天皇陛下のご親拝の話をした時に、一新聞社がえらく歪めて伝えたことがありました。あの頃既に、これはもう少しきちんと、あまりにも飛び飛びに持っている手記の一つだけをぽこっと使われて話をされるというのが、まあ長くやれないのだし仕様がないのかもしれませんが、そういうものをきちんと一回書類にして整理しておく必要があるのではないかと思っていました。一月頃から文章にしようかなと思って、自分なりにこれまでの手記をつないで、正確でないところは調べていました。そのうち、海外からもいろいろ言われるようになりましたので、少しここのところはもうちょっときちんとしないと更におかしくなるなと思ったのが最初です。後は基本的にはこういったものは本来の趣旨というものは、一番の元はやはりこういった新聞記者会見の騒ぎの対象になるべき話ではありませんよ、こんなものは。私は基本的にそう思っています。こういうものは国のために命を捧げた人達に対して、敬意と感謝を持って、そして亡くなられた方々の御霊の永遠の静謐な祈りの場に於いてきちんとお祀りがされる。そして遺族含めて皆が静かに、わんわん言われることなくそこに参拝できる。しかも外国の方達も、勿論日本の政府要人も、天皇陛下は勿論、そういった方々が静かに参拝出来るという環境を整えるにはどうすればいいかというのが、私の基本的な考え方の元です。従って8月15日だとか何とかという話に矮小化するという状況を避けたい。避けるべきだと思っています。
(問)これを読むと全ての前提が靖国神社の自発性のみによる任意解散ということになりますが、これについての大臣の見通しはどうですか。
外務大臣)南部さんという宮司がいますが、学習院の同窓会の会合の中で、国からお預かりした靖国神社をいつの日か国にお返しするべきということを会合の最初に話していました。
(問)1月頃から書類にしてまとめて発表することを考えていたと仰いましたが、このタイミングに発表した理由は何ですか。
外務大臣)8月15日より前に発表したいと思っていました。8月15日になってからですと後追いみたいな話になりますから。8月15日の前にしておかないと、次の11日が閣議がないので、今日しかないのかなということです。