久間章生防衛大臣辞任、失言で引責

2007年7月3日午後1時過ぎ、初代防衛大臣である久間章生防衛大臣が辞任しました。久間章生防衛大臣は2007年6月30日に千葉県柏市麗澤大学で講演をした際、アメリカが長崎に原子爆弾を投下したことについて「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べていました。この発言について、各閣僚の中からも公然と批判が出たほか、連立を組む公明党からも強い批判が出ていました。久間防衛大臣は、今朝までは辞任しないと話していましたが、昼食を食べながら考えていたところ、参議院選挙の問題もあり考えが変わったと言うことです。

「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」「勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけない」(2007-6-30中國新聞電子版より引用)

久間章生防衛大臣は2007年7月1日には、与党幹部らに促され謝罪の上、発言を撤回していました。7月3日には、長崎市の田上富久市長が久間章生防衛大臣に面会し、直接抗議していました。
欧米のメディアでは「『アメリカの核爆弾投下は第二次世界大戦終結させる為に不可欠だった』との戦勝国の多数の認識を’敗戦国’日本の防衛大臣が受け入れた」という報道を行っていると言うことです(Wikipediaの情報より)
久間防衛大臣は2007年1月9日に防衛庁防衛省へ昇格した際に、防衛庁長官から初代防衛大臣になっていました。1940年12月4日に長崎県南島原市に産まれ、東京大学法学部を卒業後、農林水産省入省、衆議院議員となりました。



3時50分頃ニュース速報が入り、後任の防衛大臣に元環境大臣小池百合子内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当) が決まったようです。小池百合子内閣総理大臣補佐官は、1952年7月15日産まれ。ニュース番組「ワールド・ビジネスサテライト」初代キャスターで、1992年7月に日本新党比例区参議院議員に。2002年12月27日に自民党に入党し、第1次小泉第2次改造内閣環境大臣となりました。出身は兵庫県芦屋市ですが、郵政選挙の折り刺客として東京10区から立候補して当選しており、以後衆議院選挙がないため現在も当選選挙区は東京10区です。