イラクのフセイン元大統領、死刑執行される。

2006年12月30日午後12時14分、NHK総合放送は地方ニュースの終了間際に速報のテロップを表示し、15分に全国放送に切り替わり、17分頃にはイラクの首都バグダッドからの中継を18分頃まで放送しました。その後、再び全国放送に戻り20分までニュースは続きました。他の放送局でも速報が入ったようです。
報道によりますと、「先ほど」、イラクイラク高等法廷で死刑が確定していたサダム・フセイン元大統領の刑の執行が行われたと、イラクが出資する放送局アル・フッダが伝えたと言うことです。死刑が行われた場所や方法、立ち会った人などは分かっていないと言うことですが、中継では絞首刑ではないかと話していました。
サダム・フセイン*1(1937年4月28日 - 2006年12月30日/صدام حسين عبدالمجيد التكريتي)元イラク大統領は、1979年にバース党(バアス党)の指導者として大統領に就任、イスラム原理主義を弾圧した。イラン・イラク戦争では「イラン・イスラム革命」を封じ込めたいアメリカと利害が一致し、アメリカの支援の元にイランとイラン・イラク戦争を起こす。この時イラク北部のクルド人に対し、アメリカやイギリスから輸出された原料を元に生物・化学兵器が作られ使用されたらしい。1990年、イラン・イラク戦争で疲弊したイラクは、石油資源が豊かで以前からイラクの領土であるとされていた隣国クェートへ侵攻。しかし、国際社会の非難を受け、1991年、アメリカを中心とする多国籍軍との間で湾岸戦争が起き、イラクはクェートから撤退。経済制裁と生物・化学兵器の破棄を行う。2003年にニューヨークの同時多発以降にテロとの戦いを掲げていたアメリカが「イラク大量破壊兵器を持ち続けている*2」と主張しイラクに侵攻、陥落。24年間続いたフセイン政権は幕を閉じました。
フセイン元大統領には、イスラムスンニ派の住民(首都・バグダッド付近に住んでいる)を優遇し、イスラム革命に関係するシーア派(主に南部に住んでいる)や、民族が異なるクルド人(主に北部に住んでいる)を冷遇していました。今回の死刑判決は、1982年にイスラムシーア派住民ら148人を虐殺した罪に対するものです。フセイン元大統領には、1988年にクルド人を18万人を殺害したとされる「アンファル作戦」や化学兵器クルド人を虐殺したとされる「ハラブジャ事件」など人道的な疑惑が多くありますが、時代の闇に消える形となりました。

*1:全名:サッダーム・フセイン・アル=マジード・アッ=ティクリーティー

*2:実際には大量破壊兵器は存在しなかった